みなさん始めまして、こんばんは、私は台湾から来ましたウーサーリンと申します。今日はアガサさんのお誘いで、ここに来ました。
私はAPUの三回生で、日本での留学生活丁度二年間立ちました。何故APUで勉強したいのは、日本が好きだからです。実は、私は大阪の豊中市で生まれました。その時、父は京都大学の大学院生でした。ですから家族はみんな日本に住んでいました。私は五歳までずっと日本の保育所にいて、中国語も話せませんでした。父が卒業した後に、家族全員台湾に帰り、私は初めて台湾の生活を過ごし、中国語と台湾語を学び始めました。その前は、日本語しか話せませんでした。台湾へ引越しした後、とても日本での生活が懐かしくて、是非日本に留学したかったからです。高校一年生の時、APUの事務所の人が、学校に来て、APUの説明会を行いました。私はAPUのバイリンガル環境と国際多文化環境に気に入り、二年後絶対にAPUへ留学することを一年生の時から決めました。
私は今APハウスという学生寮で、RAとを担当しています。RAと言うのは、Resident Assistantの省略で、簡単に言うと、寮生を支える仕事です。何故RAに成りたいのは、私はAPUに来た目的の一つは、異文化の環境で、いろんな国の人と交流し、他国の人々とのコミュニケーション能力を身につけ、さまざまな民族や国家の文化文明、思考様式などを理解するとともに把握したいからです。APUでは異文化の環境が備わっているけど、肉薄に異文化に迫り、実在のコミュニケーションを体験したかったら、RAを担当するのは非常にいいチャンスだと思います。RAの仕事は理論や書物からの静的な知識ではなく、生々しく継続的に本物の国際生とのコミュニケーションからです。RAの任務を遂行するため、広く深く日常生活面にわたって、長期で持続的に寮生との相互理解や、問題解決に取り組む必要があります。他の場所、場合では得れない大切な経験と思います。
APUにいる時間は二年間立ったばかりですけど、留学してとても良かったと思います。ハウスに住んで、異文化生活体験し、色々なイベントを参加し、様々な経験を積むことができました。今の自分を見ると、二年前の自分と結構変わってきました。特に考え方は、前よりもっと成熟になったと思います。
次は、台湾と日本の絆について、お話をしたいと思います。
台湾は日本と非常に深い関係にあります。国家安全保障を始め、経済貿易や技術提携、アニメーション、ファッション、観光などから見られる文化交流は日本と切っても切れない関係にあると思います。何故このような深いつながりがあるのでしょうか?実は、台湾と日本の関係は約60年前の政治と深い関わりがあります。
110年前、日本と中国との戦争で、中国が負け、台湾を日本に譲り、台湾は50年間日本の植民地として統治されました。しかし、第二次世界大戦において、日本は負け、戦時中に奪った土地を全部返さなければならず、台湾もその一部でした。台湾国民は日本政府に二等国民として統治され、戦後ようやく中国政府の統治に戻ることになり、中国政府には平等な立場を期待しました。
台湾は昔から中国に統治されていたわけではありませんが、何百年も前から中国から移民が少しずつ来ていました。そのため台湾の原住民は、中国人と入り交じり、純粋な中国人とは言えません。ただ言えるのは、民族の発祥の地は同じということです。それに加え約50年間の日本統治を経て、おのずと大陸の中国人とは違いが生じ、台湾人は微妙な立場にありました。
中国政府が統治を始めた頃、中国人は台湾人に民族的な壁を感じ、台湾人を信頼していませんでした。また、当時の中国の統治システムは、官僚主義で腐敗や賄賂が流行していました。その上、台湾国民の参政権も確立されず、品物も上海に運ばれたため悪質なインフレと深刻な失業が起こりました。
台湾の国民は半世紀にもわたり、日本の政治システムで統治されていたので、日本と大きく異なる中国の政治制度や行動様式などに、人々の中国政府への期待は、失望へと変わっていきました。そして、台湾国民と中国政府との対立がエスカレートした、1947年の二二八事件は官民衝突の悲劇の象徴になりました。
ここで、みなさんに注意して欲しいのは、今述べた中国政府とは、現在の台湾国民党であり、現在の中国共産党とは異なっていると言うことです。
日本統治時代にも民族的差別がありましたが、日本人とほぼ対等な立場にあり辛抱できるものでした。日本政府は、差別とは別に、当時の台湾人の悪い癖や習慣を徹底的に改善していきました。特に、衛生面では、痰を吐くことや道端での大小便などを禁止しました。また、常に手洗いやハンカチ・ティッシュの持参を促し、さらに、現在の日本と同じように、順番に町の掃除を規定しました。教育の面でも、義務教育を着実に実施し、時間厳守つまり早退や遅刻などを注意しました。
さらに、統治時代に日本は、道路の整備や産業基盤を作りました。私は日本語が話せるので、植民地時代を経験したご年配の方たちに、よく話を聞く機会がありますが、ご年配の方は、日本統治時代を現在の国民党と比較し、口をそろえて殖民地時代肯定し、懐かしく感じ、台湾語でもできる話を日本語でずっと私にしてくれました。
今の台湾の若者も同様で、例えば私の台湾のクラスメイトは、現在の中国との政治関係が悪化すると、台湾はそのまま日本に統治され続ければよかったのに、とよく言っています。台湾では、小学校から日本と台湾の過去の歴史を学びますが、反日感情は社会現象になっていません。その理由の一つはおそらく、台湾人は反日感情よりも、むしろ反中感情が強いからだと思います。
以上、台湾と日本の関係を、歴史的背景と台湾人の日常生活の観点から述べました。台湾は、文化的に日本から影響を受け、日本と共通点が多いです。そして、それが台湾と日本の関係を強く、深いものにしているのだと思います。私は、これからも日本と台湾、両国の友好関係が実り豊かなものになるように、そして、台湾と日本の絆がもっと強く、深く結ばれるように願っております。私のスピーチは以上です。ご清聴ありがとうございました。
(語句等に若干の間違いがありますが、台湾籍サーリンさんの文章・表現を大切にこのまま掲載致します。 鈴木)