事務局 〒879-1506 大分県速見郡日出町3904-6 | |||
医療法人 久寿会 鈴木病院 | |||
TEL : 0977-73-2131 FAX : 0977-73-2132 | |||
mail : jimu@suzuki-hp.or.jp | |||
会長 | 加 賀 山 茂 | ||
副会長 | 佐 藤 雪 | ||
幹事 | 鈴 木 貫 史 | ||
副幹事 | 臼 杵 德 二 | ||
公共イメージ委員長 | 奥 村 元 一 |
例会日 | 火曜日 | 18:30 | |
会 場 | 別府市 | サンバリーアネックス |
■出席報告 | 吉弘秀二会員 | ||
会員総数 | 16名 | ゲスト | 1名 |
会員出席数 | 11名 (例会場11名 Zoom0名) | ビジター | 30名 |
会員出席率 | 68.8%(11/16) | 出席者数 | 42名 |
前々回出席率 | (3月12日) 80.0%(12/15) |
修正出席率 | (3月12日) 80.0%(12/15) |
100%連続回数 | 0回 | 100%通算回数 | 392回 |
出席免除会員 | 山田滋彦会員 |
● メイクアップ | |
事前 | |
事後 | |
● Zoom出席 | |
● 欠 席 | 河野健二会員、奥村元一会員 佐藤 雪 会員、帯刀久美子会員 石田正美会員 |
点鍾 | 18:30 |
ロータリーソング | 君が代、奉仕の理想 |
ゲスト | 平井義人様 |
ビジター | 別府東ロータリークラブ様 豊後大野ロータリークラブ様 |
『別府東・豊後大野・日出 3RC合同花見例会』
2024年4月2日(火) | ホテルサンバリーアネックス | ||
18:30~ | (司会)日出RC親睦委員 | 梶原 直樹 | |
(1) | 点鐘 | 日出RC会長 | 加賀山 茂 |
(2) | 国家斉唱「君が代」 ロータリーソング「奉仕の理想」 | ||
(3) | 四つのテスト | 日出RC | 佐藤 英隆 |
(4) | 物故会員へ黙祷 | 岩瀬 公男 様(別府東RC名誉会員) | |
山口 猛 様(日出RC名誉会員) | |||
(5) | ゲストー紹介 | 日出RC会長 | 加賀山 茂 |
(6) | 会長の時間 | 日出RC会長 | 加賀山 茂 |
(7) | 幹事報告 | 別府東RC幹事 | 工藤 陽一 |
豊後大野RC幹事 | 原田 健蔵 | ||
日出RC幹事 | 鈴木 貫史 | ||
(8) | 出席報告 | 各クラブの出席委員長 | |
(9) | 外来卓話 | 「滝廉太郎とその祖先」 | |
日出町歴史資料館・帆足萬里記念館 平井義人館長 | |||
(10) | 点鐘 | 日出RC会長 | 加賀山 茂 |
~ フルート四重奏 ~ | |||
(司会)日出RC | 本多 和夫 | ||
19:30~「懇親会」 | (司会)日出RCプログラム委員長 | 佐藤 英隆 | |
(1) | 開会の言葉 | 日出RC会長 | 加賀山 茂 |
(2) | 乾杯 | 大分第3グループガバナー補佐 | 檀上 陽一 |
~ 懇談 ~ | |||
(3) | 『別府東ロータリークラブ創立45周年記念式典キャラバン』 | 別府東RC会員 | |
(4) | 次年度会長・幹事の紹介 | 別府東RC会長 | 笠木 隆弘 |
豊後大野RC会長 | 玉田 輝義 | ||
日出RC会長 | 加賀山 茂 | ||
(5) | ロータリーソング「手に手つないで」 | ||
(6) | ご挨拶・一本締め | 日出RCチャータメンバ― | 山田 滋彦 |
日出RC会長 加賀山茂
皆さん,こんばんは,日出RC会長の加賀山 茂です。
まず初めに,コロナ禍で,久しく延期していた,別府東RC,豊後大野RC,日出RCの合同での花見例会を開催することができたことを,感謝したいと思います。
さて,最近,テレビなどで話題となっているのは,プロンプトという指令を出すと,どんな文章でも書いてくれるChatGPTとか,写真やイラストを描いてくれるDALL・E2,Stable Diffusion,Midjourneyなどの画像生成AIです。
今日の3RCの合同の花見例会の「会長の時間」のスピーチ原稿も,もちろん,生成AIに書いてもらうことができます。
試しに,EdgeというブラウザにただでついているCopilotに以下のような呪文を入力してみました。
♯ あなたは,日出ロータリークラブ会長の加賀山 茂です。
♯ 今日は,別府東ロータリークラブ,豊後大野ロータリークラブ,日出ロータリークラブという,3つのロータリークラブの会員が,別府のホテルサンバリーに結集して,お花見を兼ねた例会を開催します。
♯ ロータリークラブは,4月を「母子の健康月間」と定めていますので,「お花見」と「母子健康月間」にふさわしい,会長のスピーチの原稿の下書きを400字程度で書いてください。
Copilotの回答は以下の通りです。
みなさん、こんにちは。日出ロータリークラブ会長の加賀山 茂です。
本日は、別府東ロータリークラブ、豊後大野ロータリークラブ、そして日出ロータリークラブの会員の皆様が、別府のホテルサンバリーでお花見を兼ねた例会を開催いたします。この素晴らしい機会に、皆様と共に楽しいひとときを過ごせることを心より楽しみにしております。
さて、私たちロータリークラブは、4月を「母子の健康月間」と定めています。なぜでしょうか?それは、「母子の健康」がロータリーの7つの重点項目の中の一つに加えられているからです。そして、男性会員が多いロータリークラブのメンバーの一人ひとりが、「母子の健康」のために何をなすべきかを考える良い機会とするためです。
そこで,「母子の健康とロータリーの使命」について,考えてみます。
私たちロータリアンは、地域社会に奉仕することを使命としています。その中でも、今月は,特に「母子の健康」に焦点を当てています。なぜなら、健康な母親と子供たちが、社会全体の健康と幸福に欠かせないからです。
私たちは、母子の健康を守るために、以下のことを考えて行動すべきです。
1.啓発と教育: 妊娠中の健康管理や出産、子育てについての正しい知識を広めましょう。
2.予防と医療: 健康診断や予防接種、適切な医療サービスを提供しましょう。
3.社会的支援: 単なる医療だけでなく、社会的なサポートも大切です。
特に、貧困層の母子に目を向けましょう。
私たちのロータリークラブは、この「母子の健康」の使命を胸に、地域社会に貢献していきたいと思います。皆さんも、ぜひこのテーマを考え、行動に移していただければ幸いです。
ありがとうございました。
以上が、スピーチの下書き原稿です。お花見の場で、皆様に心温まるひとときをお届けできることを楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
詳細情報
1:rotaryblogja.org「スピーチの腕前を上げる一つの近道」
2:rid2800.jp「資料6 会長スピーチの心得」
3:rotary-bunko.gr.jp「ロータリー文庫・クラブ会長スピーチ集」
5:rotary2760.org「会長スピーチについて考える」
***
人類の進化とは,「道具」の進化だといわれています。人類の頭脳や心は,古代から大して進化していません。
人類は,道具を進化させて,自分が進化した気になっているだけです。進化した道具を使いこなすと,自分が進化したような気分になれます。
皆様も,現在最も進化した道具である「生成AI」を使いこなしてみてはいかがでしょうか。
以上をもって,合同例会の会長の時間とさせていただきます。
中津RC | 4月 3日(水)の例会は夜例会のため、18:30~瑠璃京へ変更します |
別府東RC | 4月 4日(木)の例会は変更のため、ホテルサンバリーアネックスにてMU受付します |
4月11日(木)の例会は変更のため、ホテルサンバリーアネックスにてMU受付します | |
4月25日(木)の例会は変更のため、ホテルサンバリーアネックスにてMU受付します | |
中津平成RC | 4月 4日(木)の例会は花見例会のため、18:30~家族亭へ変更します |
4月18日(木)の例会は職場例会のため、12:00~有限会社アキヨシへ変更します | |
大分臨海RC | 4月 8日(月)の例会は休会します |
別府北RC | 4月10日(水)の例会は変更のため、ホテル別府パストラルにてMUします |
大分RC | 4月16日(火)の例会は休会します |
4月30日(火)の例会は休会します | |
中津中央RC | 4月23日(火)の例会は夜間例会のため、18:30~丸清へ変更します |
4月30日(火)の例会は祝日週のため、休会します | |
大分中央RC | 4月30日(火)の例会は休会します |
滝廉太郎の祖先は日出藩の上級藩士だったということをご存じだろうか。祖父平之進は家老であった。もっと遡れば、阿波国の戦国大名三好氏に仕える武将白井範秀である。範秀は、主三好康長が豊臣秀吉の命により秀吉の甥秀次を養子に迎えた折、その教育係となった。ところが、秀吉の実子鶴松が没したため秀吉は秀次を養子とし、範秀も秀次の側近としてそれに従った。その秀次が関白にまで上り詰めたまでは良かったが、秀吉に秀頼ができるとにわかに秀次は疎まれるようになり、ついには高野山で切腹して果てる。それを見届けた範秀は京都にて殉死するのである。
大黒柱を失った白井家は姓を瀧と改め、浪人の身で何とか江戸時代まで生き延び、和歌山藩初代藩主徳川頼宣のところに仕官する。徳川家康の第10子頼宣は、当時大名を次々に改易に追い込んで多くの浪人を出していた幕府を批判し、自ら浪人の雇用に努めていた。そのために、浪人層から絶大な支持を集めていた。そのこともあって、1651年に発生した江戸城襲撃計画・由井正雪の乱では、浪人たちを集結させるのに頼宣の名前が使われたのである。頼宣は何とか幕府の嫌疑を逃れたが、10年にわたって国元に帰ることを禁じられ江戸にとどめ置かれた。
一方、和歌山藩に出仕した瀧家には男子が3人いた。その内の3男であった助之進は和歌山藩に居場所がなく、他に仕官の道を探すほかはなかった。ところが、日出藩の記録によると、たまたま発生した仇討ちの現場に居合わせたため助太刀をすることになり助之進は大変な活躍をした。それを藩邸の矢倉の上から眺めていた初代藩主木下延俊が助之進を大層気に入り家臣として召し抱えたというのである。以後瀧家は主に武威をもって日出藩に仕え、武頭などを歴任していく。
幕末に活躍した廉太郎の父吉弘も数えの24歳にして藩の武頭に就任し、軍制改革などを担当し、明治2年には上京する藩主の護衛を命ぜられるなどしている。彼には他を圧倒する威圧感があったとみられ、後に大久保利通の秘書官としてその身辺警護を担うようになるのだが、1874年の佐賀の乱鎮圧に大久保利通が赴いた折、利通を囲んだ暴徒を吉弘が馬上から一喝して追い払ったというエピソードが遺っている。これが全くの作り話ではないと思われるのは、その後利通は吉弘に感謝してボーナスを支給しているのである。利通は1878年東京の紀尾井坂で暴徒に襲われ殺されるが、このとき瀧吉弘は休暇中で現場にはいなかったのである。もし、吉弘がその時利通の警護に就いていたとしたら、利通は暗殺を免れていたのだろうか。
このような、武士精神の塊のような父の下に育ったのが廉太郎であった。廉太郎が西洋音楽の道を志したとき、父吉弘の思いはどのようなものだったのであろう。幕末には西洋人を「けとう」と呼び出くわせば葬り去ろうとする攘夷運動の嵐が吹き荒れた時代を生きてきた勇猛の武士が、その息子が音楽を、しかも邦楽ではない西洋音楽を志したいと知ったとき、それを許すのは至難の業ではなかったのか。吉弘の子廉太郎が西洋音楽の道を目指すことができたのは、奇跡に近いものだったのかも知れない。
ところで、日出藩には先に述べた由井正雪の乱にまつわる二つの伝説がある。ひとつは地元領民の間で語り伝えられてきた伝説。内容は「日出城下の海岸道を西に歩くと赤の鳥居が並立している奥の森の中に祠堂がある。この付近が昔の城内からの抜穴の出口だったらしい。この抜穴に住み着いた狐が由井正雪の江戸での陰謀を察知し、城主俊治らに知らせた。俊治は正雪に強要されて書いてしまった血判状のことを蓮華院の住職に話すと、住職は7日間護摩炊きをし、仏力によって俊治の署名を消すことが出来た。このおかげで俊治は罪を免れた。」というもの。
それに対し日出藩の記録にはその逸話を打ち消すように、次のように記されている。「俊治公は猛将で有名であるため、江戸に火をかけて反乱を起こすという自分たちの計画に対し、俊治が出馬してきたら必ず烈火をも消してしまうだろう。よって、虎ノ門に伏兵を設けておき、反乱の際は一番に討ち取るべきだ。と評議された」ここに登場する日出藩第2代藩主木下俊治は徳川頼宣と親しい関係にあったようである。同じように浪人問題に憂慮し、彼も岡山から浪人を雇い入れ深江に住まわせている。日出藩に由井正雪に関わる二つもの伝説がのこっているということは、紀州藩とともに日出藩には由井正雪の乱に絡む何らかの出来事があったに違いないのである。そして、その紀州藩と日出藩の橋渡し役として瀧家がいたことも間違いがない。
4月7日(土曜日)午前11より午後1時までの2時間、日出中央公民館にて子ども食堂を実施いたしました。曇り空で天候が危ぶまれましたが、会員の作ったカレーは120食ほど出ました。
今回は里海ホーム様や数多くの会員ファミリー(石和桂子会員ファミリー、秋吉尚康会員ファミリー、佐藤雪会員ファミリー)そのご友人の御協力がありました、大変感謝いたします。次年度は残りの藤原小学校、大神小学校で行いたいと思います。
『令和6年 春の全国交通安全運動』に参加し、交通安全街頭啓発活動を行いました。
杵築日出警察署長 赤嶺俊彦様と撮影 日時:4月5日(金)午前7時30分~8時 参加:加賀山茂会長、臼杵德二副幹事、 吉弘秀二会員、石田正美会員 |