4つのテスト
事務局 〒879-1506
大分県速見郡日出町3904-6
医療法人 久寿会 鈴木病院
TEL : 0977-73-2131 FAX : 0977-73-2132
mail : jimu@suzuki-hp.or.jp
会長加 賀 山 茂
副会長佐 藤  雪
幹事秋 吉 尚 康
公共イメージ委員長佐 藤 英 隆

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例会日火曜日19:00
会 場日出町ホテル&リゾーツ別府湾
■出席報告河野健二会員
会員総数19名ゲスト1名
会員出席数13名ビジター0名
会員出席率76.5%(13/17)出席者数14名
前々回出席率 (10月13日)
58.8%(10/17)
修正出席率 (10月13日)
66.7%(12/18)
100%連続回数0回100%通算回数375回
出席免除会員山田滋彦会員、上野公則会員
● メイクアップ  
   事前     
   事後     
● 欠 席 穴井伸一会員、本多和夫会員
佐藤貴代会員、田村  悟会員
上野公則会員、山田滋彦会員
点鍾 19:00
ロータリーソング 手に手つないで
ゲスト 中島茂樹様
ビジター  

会長の時間

日出RC会長 加賀山茂

善行褒章の判断基準


はじめに

 これまでの会長の時間で,私は,ロータリークラブの基本的な理念について,「四つのテスト」の意味(第1回),「ロータリーの目的」の意味(第2回),「五大奉仕部門」(第3回),「公平とは何か」について,タクシーの相乗りの場合の料金の公平な負担について検討させていただき(第5回),「微笑みを微笑みで返す」画像とか「いただいたら,お返しする」とかという共感脳の抱える「やられたら,やり返す」というジレンマについて(第6回),偽りの親睦と四つのテストの関係(第7回),新型コロナウイルス感染症対策(第8回),善行とは何か(第9回),善行褒章とその基準(第10回)について話しました。そして,いずれの回においても,本年度のRI会長(Holger Knaack氏)のテーマである「ロータリーは機会の扉を開く」を活用させていただき,3つの扉の色に即して,赤い扉は,「親睦(和らぎ睦び)」として,黄色の扉は,「職業倫理の向上」として,青の扉は,「次世代への奉仕活動の実践」として整理させていただきました。
 今回は,前回に引き続き,日出ロータリークラブが毎年行っている善行褒章の基準となる民法の規定(事務管理)の日独比較について話したいと思います。


1.善行の判断基準

 義務でもないのに奉仕活動をする児童は褒章に値します。しかし,奉仕活動だったら何でも褒章に値するかというと,そうではありません。
 善行といえるためには,奉仕を受ける立場の本人の意思と本人の利益という点から奉仕活動を評価する必要があるのです。
 善行とは何かについては,国によって判断基準が異なります。ここでは,区別の基準が際立って異なっている,日本の判断基準とドイツの判断基準を比較検討してみます。


(1) 日本の民法の善行の判断基準

 落とし物を拾って,届けてあげたり(遺失物法),おぼれる人を救助したり(水難救助法)などは,善行に違いありませんが,法律上は,「事務管理」と言われています。
 第697条(事務管理)
 ①義務なく他人のために事務の管理を始めた者(管理者)は,その事務の性質に従い,最も本人の利益に適合する方法によって,その事務の管理(事務管理)をしなければならない。
 ②管理者は,本人の意思を知っているとき,又はこれを推知することができるときは,その意思に従って事務管理をしなければならない。
 日本民法における善行の判断基準の特徴は,第2項の特別規定が優先し,奉仕活動(善行)を行うためには,相手方(本人)の意思,又は,推知しうる意思が何よりも尊重しなければならないという点です。そして,もしも,本人の意思が推知できないときに限って,本人の最も利益に適合する方法によって奉仕活動をしなければならないとしている点(第1に,本人の意思を実現してあげる,第2に,本人の最大利益を実現してあげる)にあります。


(2) ドイツの民法(本人の意思を尊重しつつ,本人の利益を優先)

 これに対して,ドイツ民法における善行の判断基準は,相手方(本人)の推知すべき意思を考慮しつつも,本人の利益に適するかどうかを優先している点にあります。
 ドイツ民法677条(事務管理)
 委任を受けることなく,その他事務を管理する権利を与えられることなしに他人のために事務を処理する者は,本人の真の意思又は推知すべき意思に鑑みて,本人の利益に適する方法により,その管理をする義務を負う。
 §677 BGB (Pflichten des Geshäftsführers)
 Wer ein Geshäft für einen anderen besorgt, ohne von ihm beauftragt oder ihm gegenüber sonst dazu berechtig zu sein, hat das Geshäft so zu führen, wie das Interesse des Geshäftsherrn mit Rücksicht auf dessen wirklichen oder mutmaßlichen Willen es erfordert.


2.自動翻訳の進歩状況

 ドイツ語の原文を読んだり,日本語に翻訳したりする精度は,AIの発展によって,目覚ましく進化しています。ここでは,代表的な翻訳ソフトによる翻訳結果と,人間が行った正しい翻訳とを比較してみます。

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3.結論と課題

 道徳規範画像(黄金律,白金律,唐金律)に照らして考えると,善行褒章とは,黄金律(利他的な奉仕活動を行う)を実践する児童に与えられるものであり,その評価基準は,事務管理の規定(本人の意思を尊重しつつ,本人の最大の利益に適合することをする)に従って行われるべきであることが明らかになったと思われます。
 わが国の民法は,奉仕活動をする相手方の推知される意思を最大限に尊重し,相手方の意思が全く不明の場合にのみ,相手方の最大の利益に適合する方法で奉仕活動をすべきであると規定しています(民法697条)。
 これに対して,ドイツ民法は,奉仕活動の相手方の推知しうる意思を考慮しつつも,相手方の最大の利益に適合するような方法で奉仕活動をすべきであると規定しています(ドイツ民法677条)。
 認知症の方々の例でいえば,認知症になる前のその方の考え方について縁者等から聞き取りを行い,かつ,その人の表情・動作を参考に推知される意思に従って奉仕活動をするのが日本流の奉仕であり,それよりも,本人の最も利益になることを追求するのがドイツ流ということになります。現在の国際的な潮流は,日本式に傾いていることは,興味深い現象だと思います。



幹事報告

本日の予定
  • 外来卓話 豊後通運株式会社代表取締役会長 中島 茂樹 様(杵築RC)
         『我が人生を返りみて』
  • 第6回定例理事会
本日のゲスト
  • 豊後通運株式会社代表取締役会長 中島 茂樹 様
次週の予定
  • 11月 3日(火)休会(法定祝日)
今後の予定
  • 11月10日(火)外来卓話 日出ライオンズクラブ会長 工藤 要一 様
  • 11月17日(火)クラブ協議会(クラブ計画)
  • 11月24日(火)R財団卓話
今週の配布物
  • 週報(第1702回分)
今週の回覧物
  • 地区事務所より『ロータリー財団部門資料配布のご案内』
お知らせ
  • 社会奉仕・国際奉仕・公共イメージ 合同セミナー
     日時:11月 7日(土)13:00~16:00(受付開始12:30~)
     場所:大分県消費生活・男女共同参画プラザ「アイネス」
     登録:臼杵德二ガバナー補佐、加賀山茂会長、秋吉尚康幹事、吉弘秀二会員、
        佐藤英隆会員、上野公則会員、石和桂子会員、上野浩伸会員
  • 第37回 別府市近隣7RC親睦ソフトボール大会
     日時:11月21日(土)08:30~野口原グラウンド
  • 職業奉仕ハイブリッドセミナー
     日時:11月21日(土)14:00~16:00(受付開始13:30~)
     場所:熊本城ホール、大分コンパルホール、もしくはZOOMオンライン会場
     登録:上野公則会員、上野浩伸会員


例会変更
大分臨海RC11月 2日(月)の例会は休会します
 11月23日(月)の例会は休会します
湯布院RC11月 3日(火)の例会は休会します
 11月24日(火)の例会は休会します
大分RC11月 3日(火)の例会は休会します
大分中央RC11月 3日(火)の例会は休会します
中津中央RC11月 3日(火)の例会は休会します
 11月17日(火)の例会は新入会員歓迎会の為、18:30~若竹屋(中津市京町)へ例会場を変更します
別府北RC11月 4日(水)の例会は例会場の都合の為、12:30~杜の湯リゾートへ例会場を変更します
 11月11日(水)の例会は例会場の都合の為、12:30~杜の湯リゾートへ例会場を変更します
 11月18日(水)の例会は例会場の都合の為、12:30~杜の湯リゾートへ例会場を変更します
別府RC11月13日(金)の例会はフレンドシップ例会の為、18:30~トキハ別府店7階へ変更します
 11月27日(金)の例会はシニアとの夕べの為、18:30~両築別邸へ変更します
別府中央RC11月17日(火)の例会は家族夜例会の為、18:30~春香苑へ変更します
大分1985RC11月23日(月)の例会は休会します
大分城西RC11月25日(水)の例会は休会します
別府東RC11月26日(木)の例会は忘年会の為、18:30~ホテルサンバリーアネックスへ変更します
大分東RC11月26日(木)の例会は休会します

委員会報告

日出町小中学生善行表彰 青少年奉仕委員長 宮﨑仁史会員

10月22日夕方、善行表彰の打合せで日出中の清家校長に会ってきました。
話の要点は以下です。

①校長会としては、活動に賛成である。親、先生以外の大人から表彰されるのは良い経験になる。
②今回は、全校集会は難しいが、校長室または会議室にて実施はできる。次年度状況が許せば全校集会も
 復活させたい。
③RC側の参加者は、4名以下程度にして実施したい。(こちらからの提案)
④日程は、来年2月。各学校の実施日リクエスト調整は、校長会長(清家校長)が年内にして、
 RCに連絡する。
⑤11月27日が本年最後の校長会になりそうなので、それまでにRCから案内文書をもらえると有り難い。
⑥来年1月上旬までに、受賞者のリストを頂くようになる。(こちらからの案内)

具体的には、1月に参加可能リストを例会で回覧し、青少年奉仕委員会で各日の参加者を調整する予定です。


ニコボックス

上野浩伸会員(W): 中島茂樹様につきましては大変お忙しいところ、卓話を引き受けて頂きまして大変ありがとうございます。本日はどうか宜しくお願い致します
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臼杵德二会員(W): 子供の頃(65年前)、遊んで頂いた御尊敬する先輩の卓話を聞ける事に、うれしさを感じています。どうかよろしく御願い致します。
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加賀山茂会長(T):  9月8日(火)の例会で外来卓話をしていただいた安倍雅宏・杵築日出警察署長は,謝礼の受け取りを遠慮されました。
 そこで,先日,お礼の代わりに署長室に飾っていただくお花を届けることにして,私と臼杵会員とで警察署を訪問しました。安倍署長は,「署長室に飾るよりも1階の受付に飾る方が良かろう」言われて,お花を1階の受付に飾ることにしてくださいました。受付の署員がとても喜んでいました。報告は以上です。
 いつも通り,トリプルでお願いします。
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 皆さん今晩は!! 杵築ロータリークラブの中島です。
 職業分類は運輸業豊後通運株式会社代表取締役会長をつとめております。
 本日は私の生まれ育った地元の「日出ロータリークラブ」さんでの卓話を、テクノの上野社長より依頼を頂きまかり越しました。幼馴染の顔もある中、大変緊張しておりますし、生来の話下手でありますのでお聞き苦しいとは思いますが、ご容赦の程宜しくお願いします。

 まずは、豊後通運の紹介をさせて頂きます。
 昭和17年11月24日に創立されました。日豊線の豊岡・日出・杵築・中山香・立石、国東線の杵築市駅・守江・安岐・武蔵・国東の10駅で荷扱い配送を行っていた小運送業者を日本通運が全国展開する中で国の行政指導により統合合併し、日通の代行業務をせよ、専売品の運送・マルツーマークの使用をして宜しいという条件の中で発足しました。
 合併会社ですので株主数が多いのが特徴の一つであります。
 我々地区通運業者は、全国に70社程しかありません。減ることはあっても増えることはありません。一種の絶滅危惧種であります。業界では旧免業者マルツー、戦後免許を取得した通運業者は新免業者マルウンと呼ばれています。
 私事ですが、2018年に大分銀行関連誌に掲載されました。何の功績・業績も無い私ですので再三お断りしましたが、粘り負けました。理由は大銀経済研究所の所長に前杵築支店長の江藤氏が就いたこと、杵築市から掲載された人がいないこと、倒産企業が地場産業として復活した、という理由でした。

 私は昭和19年8月23日、父・田中利武、母・博子の一子として大分市の吉川病院で出生しました。父は東京帝大を出て毎日新聞欧米部に勤めておりました。
 母は中島末吉・秀の長女として生まれ国立音楽大学を卒業後、「東都楽壇」に入り音楽活動後帰郷し、目出高等女学校で音楽の教師を務め、二人は戦時中の昭和18年2月に結婚しますが、戦火の拡大にともない父は招集され出征します。父は日頃からこの戦争は負けるだろうと言っていたそうです。
 母は日出町に戻り私を出産します。実家の近所には父方の祖母や従兄弟たちが戦火を逃れ疎開しておりましたが、終戦後横浜に戻っております。二度ほど学生時代に祖母を尋ねましたが、祖母とは一度、従兄弟たちとは一度も会うことはありませんでした。出征した父は南方戦線に移動する中、昭和19年7月16日フィリピン北端ラバウル北方にて戦死」という通知が当家に届いたと聞いております。
 父は私が生まれる1ヶ月前に戦死をしました。
 母は私の1才の誕生日を迎えた3ヶ月後、昭和20年11月17日に病死しました。親戚の子が赤痢にかかり看病した母が感染してしまったのです。
 私は「孤児」となった訳ですが母の実家で産まれたことが幸いし母の両親である祖父母に育てられることとなり、昭和24年に祖父母の養子となり両親以上の愛情を祖父母より受けて成長することとなります。
 私の育ての親、祖父母でありますが、祖母秀は柳川藩家老職の長松家の血を引く武家の家に明治22年生まれで家には大正天皇のお従兄弟さんや尊皇の志士たちが出入りし、来客時は「たのもう~」迎える方は「ど~れ~」と応じたそうです。趣味は謡曲、日出町では第一人者だったそうです。
 祖父末吉は明治20年7月28日福岡県八女郡辺春村(現八女市立花町)に生まれ、大正2年に成清本家から今で言う転勤で馬上金山の用度会計主任となり成清博愛(ひろえ)氏の絶大なる信頼を得て重用され後成清信愛(のぶえ)氏と共に日出町転居、「成清家家政主任」に命じられます。その後末吉は、1926年(大正15年)12月20日に合資会社「日出運送店」後の豊後通運を妻秀と創業し、昭和21年豊後通運の社長に就任する(昭和47年退任)成清家が運営する朝陽銀行(旧豊和銀行)日出支店長、「成清貯蓄銀行」専務を勤め、別府大分合同タクシー・泉都タクシーの社長、「宇佐参宮鉄道」「大分交通」「大分日産自動車」「大分菱油」の監査役、日出町会議員を勤めました。中島家は成清家とともに歩んで来たといっても過言ではありません。

 成清博愛氏は明治維新の4年前元治元年に、現在のみやま市瀬高町で生まれました。先祖は大友宗麟の家臣とのことで父は村長、博愛氏も村会議員・村長に選ばれますが、職を辞して筑豊の石炭事業に進出するが失敗し、金山事業に挑み各地を廻りもう最後と追い詰められてたどり着いたのが馬上であったそうです。
 明治40年に採掘権を買収し博愛氏は福岡県会議員を辞職し馬上に専念し、大正3年には日本一の産出額を記録し博愛は金山王と呼ばれるようになりました。大正4年に行われた第12回衆議院議員に当選しましたが、病気の為、大正5年に53才で亡くなりました。
 博愛が残した別荘が「的山荘」であります。昭和38年頃迄は成清家の住居として使われておりました。「的山」の由来は、博愛が買収した酒蔵の清酒名で「鉱山すなわち山を的てる」と言う意味がこめられた博愛の雅号から用いられたものです。ちなみに、日出町で一番に車を購入したのは成清家だろうと容易に想像がつきますが、では2番目はというとなかなか思いつきません。どなたかご存じです? それは上仁王の井上繁雄(としお)さん、みかん農家の方だそうです。
 博愛亡きあとは長男の信愛が継承しました。当時鉱石は「カマス」に詰め馬車で日出港まで運ばれ茨城県の日立市に送られていたそうですが、大正6年久原鉱業(後の日本鉱業)佐賀関精錬所で精錬される様になりました。
 馬上金山は600人の鉱夫や職工が働き住宅・病院・食料品店・呉服店・飲食店・料理屋などに加えテニスコートといった娯楽施設もあったそうです。
 その後信愛は貴族院議員となり芸術家を育てたり、学校設立に多額の寄付を行っています。
 私の小学校くらいまで的山荘の入口付近に家政学校の建物があったのを記憶しています。信愛は衆議院議員をはじめ朝陽銀行(旧豊和銀行)・成清貯蓄銀行の頭取、宇佐参宮鉄道、別府大分合同タクシー、大分交通初代社長など政財界の要職を歴任。昭和21年に亡くなりました。後を次男信輔が継ぎ、酒造会社を経営するかたわら(昭和39年に)的山荘を開業します。信輔に末吉の二女で実践女子大卒業の康恵が嫁ぎ、的山荘の女将として的山荘を維持しました。母は2男3女の5人の兄弟で三女淑恵は別府女子大学を卒業、大分合同新聞第1号女性記者として活躍したのち三重町の商店経営者と結婚します。
 淑母二人は何かと私の面倒を見てくれましたが、お小言も年をとっても変わることはありませんでした。
 私は中学は分大の附属中学校に通いますが1年生は列車通学、2年生より工藤豊先生宅に下宿させていただきます。下宿生活は高校3年まで、そして社会人一年間都合6年間お世話になりました。まさに第2の育ての親であります。
 学生時代は大分県東京学生寮2年、間借り生活を2年過ごしました。就職に際しては綾部健太郎先生に希望する会社をお願いすると、私の成績表を見るなり『君、これではとても無理だよ。』と一言の元に却下されました。こりゃあだめだとあきらめていた所、夏休みに東急電鉄関連会社から面接の通知が来ました。祖父に伝えると「そりゃ~いかん、わしが地元で頼んでいる所がある、先生にはわしから断っておく」とのことで祖父が私を手元に置いておきたかったのだと悟りました。
 就職先は鶴崎海陸運輸に昭和42年4月に入社、疋田巧社長にお世話になることとなりました。年が明けて直ぐ成清の叔母から呼び出しがあり、豊後通運に帰りなさいとの事でちょっと驚きました。
 叔母の言う事はある種、絶対的なものがあったのですが、理由は祖父が秋に大病をしたことを叔母達が心配をしてのことでした。
 私としては、3年は頑張りたいと決めていましたが、昭和43年4月に豊後通運に入社することとなります。入社して判ったのですが、役職者のほとんどの方が旧店主の方でした。
 昭和44年11月に重本和子と結婚します。彼女とは学生時代知り合い、偶然にも彼女の兄と日出町出身で学生寮の先輩とが友人と言う事が分かり、自然と打ち解けて行きました。結婚生活は祖父母との同居で始まりました。祖父母は大変喜んでくれました。
 2人の子供を授かり孫も5人となった時、妻から「1人が11人になって良かったわね」と言われた時は目頭が熱くなりました。しかしながら長女を産院で、生後2日で亡くしたことを思うと無念でなりません。彼女が生きていたらなぁ、と思うことがあります。これは妻も同じ様であります。

 昭和50年、祖母秀が米寿の祝いの後88歳で他界します。祖父末吉も2年後の昭和52年に92才で家族に見守られる中旅立ちました。
 祖父は退任する昭和47年まで赤字を計上することはありませんでした。その後は不振が続くことになり、昭和56年に銀行の支店長を退任した方が一部の株主に推薦を受け社長に就くことになります。
 当初は改革を唱えた彼に私も共感したのですが、直ぐに変貌し辛抱していた交際費は増大し、借入金は膨れ上がる負のスパイラルに落ち入ってしまいます。なりより許せなかったが株主役員の排斥でした。私は役員ではありませんでしたが、排斥された一人でした。

 昭和56年、日出営業所所長に初めての現場長となりました。
 年末には、社員に妻の手作りの刺身を用意して1年の苦労をねぎらい、年始に福袋を奥さん方に手配しました。福袋は三重の叔母が格安で提供してくれました。当初15名位だった人員が30名ほどに増え、私の財布がもたなくなり止める事になります。
 その間資金繰りは悪化し、現場の私も荷主へ支払いを早めてもらうお願いをしたりと苦労しました。その中で片倉チッカリンの小林支店長には、本当にお世話になりました。最後には、「君は大変だろう、運送部をつくるから責任者で迎える」とまで言って頂きましたが、私が動けば祖父の会社が倒産するだろうと考え踏み留まりました。一つ目のターニングポイントです。

 社長が3期を迎る総会折、私は退職した株主OB達に社長解任に同意を取り付け出席をお願いし、解任動議提案し、紛糾しましたが成立し、当時専務だった結城氏を社長に選任しました。当時は周辺の同業者からは貧乏通運と椰擬され悔しい思いをしたものでした。悪いことに大株主の老舗店舗が倒産し、約3千万円の不良債権を抱えることとなったのです。そのあおりを受け、早期退職募集・賃金カットなど等実施しましたが、改善の方向には向かいませんでした。
 九州地区通運協会の会長である西久大運送の彌永清社長に、日通との仲介を依頼しましたが不調に終わり、結果、彌永社長が救済の手を差し伸べてくれたのです。平成元年、100%西久大の子会社に生まれ変わりました。目途が立った時、身を引くことを結城社長に告げると、熱心に翻意する様説得されました。又、西久大より彌永社長の命を受け副社長が来られ、再三説得を受け頑張ろうと決意します。二つ目のターニングポイントです。

 平成11年社長に就任します。まず始めに労使協定の改定をします。これは、日出営業所所長時代、労働組合との間で散々苦労しましたのでやりたかった事でした。当時は全社員が組合員となっていましたが、改定後の今では社員の1割程度となっています。バブルの恩恵もあり順調に改善が進み、就任の翌期に累損から脱却しますが、その間12年を要しました。
 平成21年には全農大分県本部専属の朝日運輸を全農の主導の元、吸収合併するという幸運にも恵まれました。その後、長男康博が入社、社長に就くとともに私は会長に就任、その直後に西久大より、株式の売却の話が突然起こりました。メインバンクである大分銀行杵築支店長に資金の相談をすると前向きの回答が返ってきました。即成立です。早い対応には先方も驚いたようであります。半年後、現本社の購入話が持ち上がりました。これも即決でした。メインバンクはありがたいと心から感じたものでした。
 私が社長に就任時50台だった車両も人員も2.5倍に拡大することが出来ました。

 そしてこれまでの人生を振り返りますと、多くの人に助けられた人生でした。苦労はしましたが、人生の岐路二つのターニングポイントを良い方向に両親・祖父母たちが導いてくれたものと信じております。育ててくれた祖父母、そして二人の叔母、工藤豊先生ご夫妻、片倉チッカリンの小林支店長、そして豊後通運と多くの社員家族を救ってくださった西久大の彌永清社長に感謝の気持ちを持って人生を送っております。
 そして今私がすべき事は、社員と社員家族を守ることだと自分に言い聞かせて日々努めています。生涯現役を貫きたいと思っています。
 ご清聴ありがとうございました。


【豊後通運株式会社のご紹介(ホームページより抜粋)】
    商 号    豊後通運株式会社
    創 業    昭和17年11月24日
    本 社    大分県杵築市大字溝井1484番地20
    代表者    代表取締役会長 中島 茂樹
           代表取締役社長 中島 康博
    従業員    140名

    営業種目   通運事業、貨物自動車運送事業(一般区域)、損害保険代理業
           生命保険代理業、プロパンガス販売業、倉庫業
    免 許    第二利用運送業務/西大分駅、貨物自動車運送業務/全国
           特別積合運送事業/国東町-大分市
           産業廃棄物収集運搬業/大分県・大分市・久留米市・宮崎県
           一般廃棄物収集運搬業/大分市
           倉庫業(第5789号)、一般労働者派遣事業(般44-300120)
    主要取引先  全農大分県本部、ジェイエイ北九州くみあい飼料(株)
           片倉チッカリン(株)九州支店、全農物流(株)
           (株)ジェイエイフーズおおいた、大分県農業協同組合
           べっぷ日出農業協同組合、日本通運(株)、大分興業(株)
           大分県農協きつき柑橘選果場、杵築柑橘農業協同組合
           その他180社

例会風景

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豊後通運株式会社代表取締役会長 中島茂樹様へのお礼