事務局 〒879-1506 | |||
大分県速見郡日出町3904-6 | |||
医療法人 久寿会 鈴木病院 | |||
TEL:0977-73-2131 FAX:0977-73-2132 | |||
会長 | 山 田 滋 彦 | ||
副会長 | 上 野 公 則 | ||
幹事 | 鈴 木 貫 史 | ||
広報委員長 | 佐 藤 英 隆 |
副会長 上野 公則
昨日は日本列島金環日食一色でありましたが、残念なことに日出町では、雲にさえぎられ、見ることができませんでした。待ちに待った時間でしたが、自然の力には勝てません。6月には金星食が見られるようですが、改めて自然と共生し、自然の中に生かされていることを実感しています。
本日は、すばらしいゲストにご出席頂いております。久しぶりの新入会員になられる方々です。日出RCに希望の光を与えてくれる方々ですので、皆さん方共々よろしくお願い致します。
さて、後日次年度の各委員長へ、次年度の活動計画を書いていただくよう、用紙を配布させていただこうと思いますが、先立ち次年度の会長としての目標を発表させていただきます。
「温故知新」
今こそ原点に立ち返り、ふるさとを見つめなおそう。
新しい時代を築いていこう。
私たちは、東日本大震災で多くのことを学びました。「想定外」 「危機管理」 「教育」 「誰かがしてくれる」 「自分の身は自分で守る」 他・・・そんな中、特に気付かされたことは、「地域の絆」 ではないでしょうか。希薄化がすすむこの世の中、電気もつかない、水道も出ない、ガスもない、電話も通じない所から復興を目指す人々の心は、地域の絆しかありません。
ロータリークラブとして、また、ロータリアンとして、何ができるのか改めて見つめなおそうではありませんか。
中津中央RC | 6月28日(木) | 『最終夜例会』の為、18:30~へ時間変更 |
宇佐RC | 6月28日(木) | 『最終例会・クラブ協議会』の為、18:30~『かんぽの郷宇佐』へ変更 |
別府RC | 6月1日(金) | 『シニアとの夕べ』の為、18:30~『両築別邸』へ変更 |
6月22日(金) | 『第5回(新・旧)クラブ協議会』の為、18:30~『ホテルニューツルタ』へ変更 | |
6月29日(金) | 『会長・幹事退任慰労会』の為、18:30~『ホテルニューツルタ』へ変更 |
別府東RC | 6月14日(木) | 『職場例会』の為、11:00~『別府市美術館』へ変更 |
6月21日(木) | 『会長・幹事慰労会』の為、18:30~『べっぷ昭和園』へ変更 |
別府中央RC | 6月26日(火) | 『会長・幹事慰労会』の為、18:30~『ホテル山水館』へ変更 |
別府北RC | 6月27日(水) | 『新旧会長・幹事歓送迎会』の為、18:00~『悠彩の宿 望海』へ変更 |
皆さん、今晩は。本日はゲストとして臼杵様、原田様をお迎えすることが出来ました。皆さんの努力に感謝申し上げます。「ロータリーと私」という卓話ですが、2001年7月に入会させて頂いてからの私の辿ったと申しますか、感じたことを少し述べさせて頂き、新入会員のお二人に少しでも日出クラブの事を含め、ロータリーについての説明になればと考えます。
2001年6月に、本日は出席しておりませんが山田会長にお願いして日出ロータリークラブに入会希望を伝え、許可を頂きました。同年7月よりの新年度はここにおられる吉弘会員が会長で河野一幸会員がクラブ幹事の新体制であり、同時に私も入会させて頂きました。例会では、今と同様にて会長の点鐘ではじまり、ロータリーソング合唱に続き、会長によるゲスト・ビジターの紹介→食事→会長の時間(挨拶)→幹事報告→各委員会報告→ニコボックス→出席報告→そしてクラブ会員卓話やゲストの卓話→例会終了の点鐘と行われていました。
ところが、『先生は忙しいでしょうから例会には36分でもいいですから出席すれば例会出席とみなします』という私の指導者の言葉が頭に残っておりましたので当時18:30より開始する例会でしたので19:00頃にこのホテルの例会場にやっと間に合うように(間に合わせて)来ていたと思います。それは、ロータリーの出席義務の事が強くあったためでした。(逆に18:30に来て19:00過ぎに退席するなど私には出来ませんでしたし、現在のクラブ幹事・会長としての立場であれば、例会は出来れば最初から最後まで一緒にいて頂きたいと考えております。)手術や急患の対応にて何回か欠席することもあったと思いますが、他クラブへのメイクアップというもの自体、またやり方も理解できずほとんどしておりませんでした。このころは、ロータリーとはどういうものかも理解出来ておりませんでした。
そんな私ですが、何とかクラブの一員として頑張ることもありました。私の鈴木病院も医療の面のみならず介護保険事業も少しずつ始めていましたので若い男性職員も増えておりました。それで野球チーム(実質的にはソフトボールチーム)も形だけは出来ましたので大分合同新聞社のナイターソフト大会や日出町長杯ソフトボール大会などにも参加しておりました。そのため、長年続いております別府近隣7RC親睦ソフトボール大会には入会一年目よりエントリーさせて頂きました。その最初の試合で力いっぱい頑張りました。頑張りすぎて自分をコントロールできず、ライナーのボールを走り込んでキャッチしたと同時に一回転するつもりが出来ず左肩より転倒し左鎖骨骨折をした事がありました。頑張りすぎて、結局、クラブの皆様、大会の運営クラブにも迷惑を掛けました。もちろん、入院し、2泊3日の手術も受け、そして病院の先生にも迷惑をかけた事がありました。しかし、この事を契機にクラブの一員として皆よりも認められたような気がしました。
もう一つ、ロータリーの楽しさを味わえることがありました。
それはロータリー2年目の時かと思いますが、人吉市での職業奉仕セミナー出席した時の事です。大学病院時代をはじめ勤務医及び開業時より休日や祝日を除いて、医学関係以外で大手を振って朝より出て、車を運転し、初めての街を散策し、夜の街を楽しむことはありませんでした。ロータリーのセミナーに出席、しかも日出クラブを代表して行って来ますと言えば、恐い愛妻も文句を言いませんでした。
セミナーは土曜日の午後1時頃より開始のため、早朝より出発し、人吉市の会場近くのチサンホテルにチェックインし、街のうどん屋に入りました。ところがそこには、別府東や杵築クラブの先輩会員がおられ、一人で来た私は心強く思った記憶があります。
セミナーの内容、特に職業奉仕委員長などロータリアンの方々の講演は忘れましたが、特別講演は人吉地区の歴史を語る教育委員会の先生による面白い話であったことは今も記憶に残っています。
資料1 |
人吉は平安・室町時代より相良家が続いており、江戸時代は熊本細川の殿様と薩摩の島津家に挟まった位置であり、色々苦労した話や、西南戦争の時には西郷軍のために共に戦った話、人吉の城が川や池に取り囲まれた堅固な造りであったことなどや、また城下町の為古くよりの伝統のあるお寺も多く、九州の小京都として一時若い女性の観光ブームの時のことのエピソードとして、門前で住職が朝掃除をしていると、若い女性がカメラ片手に「この寺の有名な仏像を見せて下さい」と聞いてきました。住職は「お見せ出来ません」と言って突っぱねられました。皆さん、何故か分かりますか?『仏像を拝ませてください』『拝顔させて下さい』と申し出ればよかったのです、などの話もして頂いた事を憶えています。翌日私は、もちろん人吉城址公園とその寺の仏像を拝みに行かせて頂き、貴重な経験をする事が出来ました。
そうこうする間に11年が経とうとしています。私もクラブ幹事、クラブ会長を経験させて頂きました。
入会後のRI2720地区大会には全て出席致しましたし、2005年大阪での国際大会、2010年のカナダ・モントリオールでの国際大会も出席し、世界中のロータリアンの集まるセレモニーを体験する事も出来ました。
資料2 |
資料3 |
先日の地区協議会において講演された廣畑富雄氏の『ロータリーの心と原点』に述べてありますが、ロータリーは米・シカゴにおいてポールハリスによって設立されました。「あなたは何故ロータリーを始めたのですか」との質問に『淋しかったから』と答えた有名な話がありますが、ポールハリスが目指したもの、大切だと思っていた事はロータリーは①友情が基本であり、また、②寛容の精神を説いております。そしてもう一つは③職業分類を大切にしようということです。
① | 各個人が友好、友情を大切にし、ロータリーでその友人の輪を広げる事が大切です。 →それがロータリーのマーク・歯車、車輪にもなっているとのことです。 |
② | 寛容の精神に関してですが、よく大会や協議会にて主催者が挨拶の中で『行き届かぬ所があるかもしれませんが、そこはロータリーの寛容の精神でご容赦下さい』とあらかじめ不都合なことの事態がある場合を予測して、許しを乞う時に使いますが、ポールハリスの考える寛容の精神はどのような時、場面でも人を非難する言動を出来るだけ避ける事と言っています。ロータリーの心として寛容の精神は最も大切であると言っています。今はそれがロータリーの友愛の精神に置き換わってきたと私は考えます。 |
③ | 一つの職業分類を大切にということは一人のロータリアンが一つの業種を代表するものであるということです。 |
更にロータリークラブの目的というのがあります。(資料③-1)
会員皆さんが、サービス(奉仕)=人の役に立とうとする精神のもと、向上に努め、かつ、その属する職種の向上に努め、更に地域社会の向上に努める。それがロータリーの目的であり、このサービスの精神はより良き社会を造ると共に本人の幸せに通じるという考え方となりロータリーでは有名な"最もよく奉仕するもの、最も良く報われる"(資料③-2)というモットーが生まれました。
姉妹クラブが、戦争の傷あとを平和の絆へと変えた(ロータリーの友 2009年12月号より抜粋) |
私が2009~2010年度クラブ会長をさせていただいた時、12月8日の会長の時間中の一部を紹介しますが
『今月のロータリーの友12月号(2009年:18・19ページ)に「姉妹クラブが、戦争の傷跡を平和の絆へと変えた。」と興味深い記事が載っております。1982年、広島東南ロータリークラブとオアフ島のパールハーバーRCの姉妹クラブとしての話がもち上がり、そして締結が実行された。その時の双方の想い、そして締結後の姉妹クラブの関係、発展後の両RCの想いなどに心を打たれるような記事が載っております。真珠湾の奇襲攻撃で始まった開戦の島と原子爆弾を落とされた悲惨な現実のある広島のそれぞれのロータリアンの皆さんの気持がこの短い記事の中にもうかがえ、「今こそ平和を見つめるべきだと思います。」「ロータリーが世界の中でリードすることなのです。」という言葉に強く感銘を受けました。この時の国際ロータリー会長は、折しも当県の向笠廣次(中津RC)氏であり、その氏のRIテーマは、「人類はひとつ、世界中に友情の橋をかけよう」でした。
先日の11月21・22日の当地区大会での今井鎮雄RI会長代理も言っておりました。世界の友情の懸け橋の一つとして、隣国韓国とが「近くて近い国」となるようロータリーを主体とする友好の大会を継続して開催していること。そしてこの2720地区大会でも3660、3630地区との友好関係として(姉妹地区の)ガバナーが毎年相互に訪問されている事実があります。今後もロータリーは世界の平和の為の活動を、実践する為に全てのロータリアンが心を一つにすることの必要性を訴えております。私達日出クラブも、こういう想いをどのような形でとらえ、実行するかを皆様と考えたいと思います。』
日出クラブで出来る事はわずかですが、その皆さんの小さな積み重ねが大事ですし、ロータリーの綱領(第4:資料③-3)にありますように、国際間の理解と親善と平和を推進することという目的を成し遂げるのもロータリーだからやれるということと考えます。皆さん一緒にロータリーを学び楽しみましょう。
ゲスト 入会予定の原田順二様(左) | ゲスト 入会予定の臼杵徳二様(中) |